『笑顔でいられる時間』

 

基本的に僕は今まで途上国しか旅した事がない。

 

途上国では何もかもが大雑把だ。

 

几帳面を絵に描いた国日本から来ると、

 

こんなんで大丈夫かよ?!

とか

「なんでしっかりせーへんねん?!

 

とか思ってしまう人も多いと思う。

 

この国で言うと例えばフェリーに乗る時。

 

乗客の待合室には

「小銭目当てで船の周りを泳ぐ子どもにコインを投げないで下さい」

と注意書きがしてある。

 

これは乗客が船の上から投げたコインを海底に沈む前に潜って手に入れるという港町の子どもたちの

小遣い稼ぎのパフォーマンスだ。フィリピン各地に見られる。海底に沈むコインは意外とゆっくり沈み、

潜りの達者な子どもたちには容易に掴む事が出来るらしい。

 

そういった注意書きがあるのにも関わらず、船にダダダっと駆け込んできて船べりから飛び込む

子どもたちを船員たちはまったく注意しようともしない。

 

こんな旅をしている僕だけど、これでも一応日本で育った身だ。

違和感が無いわけではない。

 

「この会社の職員だろ、注意しろよ」

 

って思う。

 

今の日本だと「触らぬ神に祟り無し根性」が行き過ぎていて知らない子どもに注意する

大人はほとんどいなくなってしまったけど、この場合は日本ではルールを遵守する「職業人」

として注意するケースだろう。

 

けど、その「大雑把」という言葉を言い換えてみれば「おおらか」とも言える。

 

僕らが生きてきた日本は何もかもきっちりして、だからこそここまで経済的に発展したのだと

思う。車を作らせれば、カメラを作らせれば世界でも文句無しの一流品だ。

 

けど、どっちがいいのかなって思う。

 

すなわち大雑把で大らかで経済的に発展出来ずにいるのか、細やかで神経質だけど経済的に

発展してるのか。

 

日本に出稼ぎに行ってたというネパール人は言っていた。

「日本はカネを稼ぐ場所で住みたいとは思わない。だって日本はたくさん自殺をする。

ネパールは貧しくても自殺する人なんていない」

 

日本って、本当に何もかも整っていて文句を付けるといったらもう重箱の隅つつくレベルに

まで達してると思う。時には

 

「道路が陥没してて高級自転車が壊れた!管理責任のある市に賠償を求める!!」

 

なんて裁判がまかり通って市が負けちゃうような国だ。それは法律的にはおかしくは

ないものの、そこまでいっちゃった国・社会ってどうなの?って思ってしまう。

 

そこには大らかさなんて微塵もない。ただ、他人の非難に恐々とする縮こまり、ただ

失敗のないように、他人の迷惑にならないようにといった性格のものになってしまう。

そして、一旦そうした社会になってしまうと自分が縮こまっているからこそ、他人の失敗には

容赦しない。

 

最近の「アルバイト店員の悪ふざけツイート」がその良い例なのかもしれない。

 

今はこうして先進国としての経済的恩恵を受けている僕らだけど、この先どうなるのだろうって

思う。ギシギシと自らの首を締め付けるような社会にしていって、

 

「何もかも求めるモノもサービスも手に入る。けど、その代わり生きるって事が窮屈。

そういうのんて、僕らが求める社会なの?」

 

って問うてしまう。

 

僕らが本当に求めてる社会ってどんなものなんだろう。

 

経済的に発展したからこそ、この先どういう社会を作っていきたいのか、これを考えて行動すべきなんじゃないかって思う。

 

物質的な豊かさと精神的な豊かさってバランス取れないのだろうか。今の日本はどう考えても

前者が行き過ぎてる気がする。

 

幸せ度を計る一つの目安として、「笑顔でいられる時間」というのがある。

 

この基準だと日本はどうだろう。このままの日本の進み方で笑顔の時間は増えるのだろうか。

 

考えてしまう、笑顔の多い国フィリピンだった。

 

明日夜シンガポールへ飛び、旅の第二ステージのスタートである。

どういった旅になるのか。楽しみと不安とを織り交ぜながらフィリピン最後の夜は更けていく。


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