なぜ僕は生きているのか。

なぜ自分は生きているんだろうという問いに対して、未だに答えを得る事が出来ないでいる。

生きていて、僕らは色んな欲求を満たそうとする。
可愛いコと話したい、抱きたいなんていう性欲もやっぱりあるけども、
物欲というのがまた大きい。

日々労働し、そしてお金を得る事が現代社会の「生きる」という事になっている訳であるけど、その得たお金で何をするかというと、「買い物」であろう。


買い物をして、物欲を満たすのが生きるという事になってるのは否定できない。

ふと自分を取り囲むモノを見渡してみた。人から頂いたモノ以外は全て自分が欲して買ったモノばかりだ。

けれどその殆ど、いや全てと言ってもいい、それらは遅かれ早かれゴミ箱に行くのだと思う。


そんなモノを買い続けるのが人生なんだろうか。その為に自分は生きているのだろうか。

違う、少なくとも自分は違うと思う。買い続けるのではなく、自分の周りからモノを減らして
いく方が「なぜ生きているのか」の答えに近づくような気がする。

モノとカネ、情報その他人間は様々を作り出して、それは人間が快適に生きるための所作だったはずだ。

けれど、それらは生きるという事を本来以上に複雑に、本質を見えなくさせてしまってるのではないだろうか。

生きるのに

「アレが必要」「こうしないといけない」「ソレをしたらダメ」

そういうのに雁字搦めになってる気がする。

世間的には僕は、30も過ぎて定職にもつかずフラフラと旅行ばかりして どうしようもないクズ野郎だ。親泣かせだと言えよう。

結婚して、子どもを生んで、家を買って、そういう生き方にある種の憧れも無いではない。

けれど、僕はいまさらそういう生き方に舵を切ろうとは思わないし、切ろうと思って切れるもんでも無い。

だったら、僕らしいやり方で「なぜ生きているのか」の答えを見つけに全力を尽くしてもいいんじゃないかな、と思った。


「そんな甘っちょろい事ほざいて、アホか」
「将来どうするの?」


僕が今から言う事に対して、多くの人がそう思うはずだ。分かってる、僕は未だに幼稚な精神で無計画なピーターパン症候群のダメ男だ。



2013年秋に自転車で世界一周に出ようと思う。3年以上はかかるだろう。


生きるという事、自転車で世界一周したところで何が分かるもんでも無いかもしれない、動機を無理やり作ってる感もある。

けど、

「こうすべき」

だとか

「アレやっちゃダメ」

とか、

そういう既存の価値観に真っ向から逆らって、やりたい事とことんやりつめてこそ見えてくる答えがあると思うのだ。

その先に見えるのが結局既存価値観が正しいとの認識であれ、ホームレスに落ちぶれるであれ、

僕は自分で自分を押さえつけて、進みたい方向にも進まず、ただ後ろから押し出されるように
生きる、ただ生存するだけの生き方なんかまっぴら御免だ。

その先に物質的困窮や、或いは早すぎる死があろうとも、やりたい事をやって、僕らしい生きるという事の答えをたとえカケラでもいい、得たい。

その小さなカケラは僕にとってどんなモノよりも

光り輝く宝石となるはずだから。


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