2015/08/24 スペイン・マドリード
僕がこうした人生を歩む事になったのは大学進学を控えた18歳の春休みにまで遡る必要がある。
車の教習所に行く以外はなにもやる事がない、ウトウトとした昼下がりにTVをつけたら深夜特急の再放送をやっていた。
みるみるウチに引き込まれていき、放送が終わった後すぐに本屋で小説版を買ったものだ。
学生の時はオートバイで日本各地を野宿しながら周っていて外国には行った事がなかった。航空券を出すお金があれば日本中どこでも行ける、そう思っていた。いや、もしかしたら外国を一人で旅することが怖かったからなのかもしれない。
大学中特に何かに熱中したり、勉強したりもしなく何もウリも無い僕だったが、面接だけは妙に得意だったのもあって就職氷河期ではあったが就職に関しては5社しか受けてないものの2つ受かった。
土日休みだし年収も良さそうだし、なんとなくカッコイイから、というだけで銀行員になったものの半年で辞めた。
欝になってしまったから、というのもある。抗欝剤を飲みだして元気になったものの、直接の理由というのは通勤電車に乗っている人たちの目を見て悲しくなったからだ。
そんな事で辞めてしまうなんて、と世間は言うだろうし会社でバリバリ働いてるひとからすると僕はただの落伍者、軽蔑の対象だろう。自分でも思う。ただ逃げたかっただけだ。
それなりに有名な大学に行き、その地方では有名な銀行に入り、そしてすぐ辞めた僕の居場所はどこにもなくなった。
そこで、思い出したのが深夜特急だった。
その時口座にあったのはわずか23万円。6万円でバンコクまでの往復のチケットを買い残りのお金が尽きるまで旅を続ける。
その時は3ヶ月、そしてその後9ヶ月の旅、15ヶ月の旅、と働いては旅に出るという20代だった。
そうしたバックパッカー旅を知った時はもうもの凄くなにもかもが刺激的で、ただバスで次の町に行くだけで冒険の主人公になった気分でいた。
だがしかし、その刺激が続くのも長くはなかったように思う。感動が麻痺してくるのだ。次第にどこに行っても感動しなくなった。それでもバックパッカーとしての義務感のようなものに従い、ただ次の町へ、そしてその次へとバスに乗る。
初めて海外に出たあの時、タイのドンムアン空港を出た時、ガイドブックも何も持たずあの灼熱のバンコクに放り出されたあの湧き上がる情熱はどこに。
僕は冒険の主人公になりたかった。でもバックパッカー旅ではなれなかった。
深夜特急に憧れて自転車旅行をするというのは一見おかしいように思えるがこういう理由による。
自分だけの白地図に自分だけの線を引く。バックパッカー時代に感じていたあの情熱、自転車、そして過酷な南米という燃料を素にまだ燃えることができそうだ。