事故もなくデリーに到着した。デリー自体にさほど思いいれがある訳でもなく、いや、嫌いでもあるデリーなのでその目的地であったデリー駅の前に着いてもさほどの感慨はなかった。
しかし、これでインド・ネパール編も終わりかと思うとそれはそれでスッキリしたような気がした。
バラナシを出てから、
僕は、かつてないほど寂しさの中に居た。
今までずっと一人旅をしてきたのだけれど、寂しさを感じた事はほとんど無かった。
元々孤独を好んでいたのもあるし、さほど話好きというわけでもない。
一人で旅をするのは誰に気兼ねもせず行きたい所に行き、止まりたい所で止まる。
その気楽さがこの上なく心地よかった。
観光地にあるホテルというだけあって人の入れ替わりは当然あったものの、管理人やスタッフ、それに伝統楽器を習っている人やただの旅行者ながら僕みたいに長く留まってしまう人も居て、バラナシでの生活はいわゆる「ホテル暮らし」というものではなく、なんだか「合宿所」や「シェアハウス」のようなものだったのだ。
そんなインドの中の小さな日本にどっぷり1ヶ月も浸かって、再び混沌と喧騒のインドに一人自転車を漕ぎ出すとリアルに孤独感に包まれる。バラナシでの生活を思い浮かべてしまう。
おまけに1ヶ月ぶりにいきなり漕いだのもあって左ひざを痛めてしまい一漕ぎ一漕ぎに鋭い痛みを感じ出してしまった。
バラナシを出て2日目で走行不可能な位に痛みが深刻化し、卵配送していた空荷の軽トラをヒッチハイクして次の大きな町まで載せていってもらった。
そして3泊おとなしくする。以前にもこうした膝痛は経験した事があり、数日休む事は必要な事は分かっていたからだ。
しかし一人でじっとしているといやおうなくバラナシでの生活を思い出してしまう。
一人で部屋に居るというのはあまりなく、たいてい共同部屋で誰かと話していたり、料理担当の日本人スタッフの女の子に
「今日の晩御飯何なん?」
と聞いたり、カメラ好きの人とカメラ談義したり、刺激こそ少ないものの満たされたものがあった
僕は自転車を漕ぎに海外を旅している訳で、決してそうした生活を求めてきたわけではない。
混沌としたアジアの町並みや、荘厳な大自然の中を駆け抜ける為にここに居る。バラナシを出てまさしく僕は求めているものの中に居るはずなのに、それらは僕を満たす事はなく代わりに僕の中で満たされているのは孤独感だ。
でも、なんだか分かったような気がした。
自転車で世界を駆けるという行為は僕にとっては「大冒険」でおそらく「そんな事やってみたい」と思う人も多いだろうし「けどそんな事自分には出来ない」と諦めている人がほとんどだろうと思う。
そうした「滅多に出来ない事」をやっている僕は幸せ者のはず。
けれど、僕はそうした「滅多に出来ない事」を得ている代わりに多くの人が得ているものを得られないでいる。
・・・朝起きるとおはようを言う相手が居て、
夜お酒を飲みながら笑いあえる相手が居て、
寝る時おやすみを言う相手が居る。・・・
そういう事が幸せという事なんだろう。
そんな事早く気づけば良かったのだけれど、遠回りしてからこそ気づくって事もある。
ただ、それが僕の場合遠回りが過ぎるような気もする。
でもコレが僕の人生だ。
僕の遠回りはまだまだ続く。