カンボジア→タイ・ママチャリ旅

それはアルコールから生まれた・・・。

 

 

 

「じゃあ行こうぜ!かんぱーい!」


そんな約束の杯を傾けたのは旅立ちの日の2日前の夜、ただの酒の席の冗談から始まった。もはや誰もがアンコールワット観光も終えてただ目的もなくだらだら居続けたカンボジア。その日も例外ではなく昼間っから

プシュ

っと缶ビールを開けていた。それがずるずると夜まで続きいつのまにかビールからウイスキーへとアルコール濃度はあがっていき、それに伴いテンションも異常なまでに上がる。もはや誰が言い出したのかすら覚えていないが、3人のうち誰かが

「チャリでバンコクまで行けんじゃね?」

と言い、そして誰かが

「そんなん余裕っしょ、行こ行こ」

とチャチャを入れる。乾杯までしてしまって後には下がれないと感じたのはたぶん3人とも同じはず。

タイまでチャリなんて余裕っしょ。ママチャリ旅仲間となる左からワタ君、ケンドー君。
タイまでチャリなんて余裕っしょ。ママチャリ旅仲間となる左からワタ君、ケンドー君。

乾杯までしてしまって後には下がれないと感じたのはたぶん3人とも同じはず。翌朝起きて早速自転車を買いに行く3人。この時点でももしかしたら3人とも

「売ってなかったり想像以上に高かったらここで引けるんだけど」

と思っていただろう。少なくとも僕はちょっと思っていた。でも中古自転車は探す事もなく簡単に見つかり、お値段も1台約30ドルと考えてた以上に安い。塩分不足にならないように塩まで買ったりしながらも準備はサクサク進み、あとは朝を迎えるだけとなった。

我が愛車チャーリー1
我が愛車チャーリー1


「ホンマに行くんか・・・・。」

と3人とも考えながらもさすがにやや緊張してその夜は酒もほとんど飲まず夜が更けていった。

 

 

朝5時に起きた俺たち。でも真っ暗。それでもすぐ夜は明けるだろうと荷物を積み込みゲストハウスの人たちに見送られながらペダルを踏み込む。

ドムッドムッ

あれ?何かおかしい??降りて後輪を見てみると見事に空気ゼロ。まだ200mも進んでないのにパンク。タケオGHに来た人は分かると思うがガソリンスタンドの前くらい。先がすっげえ思いやられる。まだ修理屋は開いておらず空気だけいれて再出発。

地平線まで続く未舗装路
地平線まで続く未舗装路

空気抜ける恐怖とペダルを踏むごとに

キキ、ガキャ、

と鳴るチャリに安心感はまるでなく、暗澹とした気持ちでまだ肌寒い朝のシュムリアプを駆け抜けていった。悪路で有名なカンボジアでもしばらくは舗装路で、かなり快走できていた。が、それも2時間ほど。いきなり舗装が途切れ、デコボコがチャリを襲う。

そんな襲撃に耐えられなかった我がチャリ。休憩から再び跨ろうとするとまたタイヤはションボリ。360度見渡しても遥か彼方に地平線が広がるのみ。修理道具も無い。

「ごめん!歩くか!」

と他の二人に言うというより自分に励ますために腹の底から声を出す。

ジャリ、ジャリ

っとサンダルを半ば引きずりながら地平線の向こうへと歩いていく。太陽はますます上へと昇っていき、それに伴ってタラタラと額から流れる汗の量も 増していく。きつい状況だけど、それほど辛くは無いのは周りの風景があまりにも雄大だからか、それとも気持ちのいい仲間に恵まれたからか。俺一人だけのパンクだけども後の二人も笑顔で歩いてくれる。冗談を飛ばしつつもトロトロと歩く。

ようやく修理屋に着いたのは1時間半ほど歩いたところか。とにかくようやく着いて、ほっと一息。チューブもタイヤも古かったので交換してもらい、その作業を見ていて仲間のケンドー君が言ったのが

「俺らって今『旅』してますよね」

 

旅、してますよね。
旅、してますよね。

と。たしかにこんな集落、バス乗って『旅してます』なスタイルでは絶対来ない場所。英語も完全に通じないけども旅行者ズレしてない修理屋のおじさんは気持ちのいい優しさ が伝わってくる。優しさをお腹に入れて、それをエネルギーにまたペダルをこぐ。デコボコ道のペダルは重い。カラカラに乾燥した道路は車が通る度砂塵が舞い上がり息も苦しい。

変速無しのママチャリはしんどい
変速無しのママチャリはしんどい

そんなデコボコと砂塵、太陽に痛めつけられながらもこの日の目的地「クララン」に到着。走行は50キロ。この町に泊まらないとこの先50キロはまた宿が無いというとこなので泊まらずを得ず。しかも宿も一軒しか無いので選択の余地無し。

クラランの高校
クラランの高校

クラランではたまたま入った敷地が高校で、授業中教室にお呼ばれ。教室には電灯の設備すらなくカンボジアが貧しい国だと実感。でもほんと人はフレ ンドリー。観光地のシュムリアプは観光ズレしてる人たちがいて不快な気分を味わう観光客も多いけども、観光地じゃないとこはホントにいいもんだ、と思っ た。

まだ暗い内に出発
まだ暗い内に出発

翌朝、日の出前に宿を出る。

昼前、お約束のパンクだ。

1時間ほど歩くと地平線の向こうに鉄塔が見えた。鉄塔があるのは集落のある証。集落があれば必ず修理屋さんがある。

 

おかゆを振舞ってくれた
おかゆを振舞ってくれた

たまたま修理で訪れた集落に過ぎなかった。ただ廃材で組み立てたような商店が2、3軒あるだけの集落。「旅人」たちの乗る観光地直行バスはまず停車しない場所。

パンク修理中にニンニクを炒めるいい匂いに誘われ道向かいの商店へと足を運ぶ。そこでは炭火コンロでおばちゃんがニンニクとネギを炒めていた。きつね色に揚がったところで、隣のコンロでコトコト煮ていた白粥に注ぎ

ジュバジュバ

と音が鳴る。それと同時に腹が鳴りおばちゃんが

「座って座って」

と身振り手振りで言ってくる。そこはてっきり簡単な食堂だと思っていた。少し躊躇いながらも椅子に座ると丼にニンニクの香ばしい匂いのする粥を注ぎ、煮魚を一切れ、青ネギをパラリとかけたものがおばちゃんのやや筋ばった手で目の前に運ばれてきた。

ゴクリ

と喉を鳴らし、つい習慣で

「いただきます」

と言ってからレンゲで掬う。見た目はまさしくお粥だ。レンゲを口の前まで持っていき、温かいお粥を口の中へと運ぶ。

じわーっと美味しさが広がる。夢中でかき込んだ。食べ終わると

「お代わりは?」

というような事を伝えてくる。

「もう十分」

と伝えてからお金を払おうとすると頑として受け取ろうとしない。ここは食堂でも何でもなく、ただの家庭の食卓だったのだ。ただ、客人へのもてなしに過ぎなかったのだ。それが分かった途端、腹だけでなく心まで満たされたのは一緒に食べたあとの二人も同じだっただろう。

その集落から道は一層厳しくなったけれど、なぜかペダルは軽くなったような気がした、カンボジアチャリ旅2日目の昼下がりだった。

ママチャリでイミグレに並ぶ
ママチャリでイミグレに並ぶ

三日目の昼下がり、ようやく国境のポイペトに到着。多くの観光客などでごった返すイミグレに堂々とママチャリで並んみた。

無事国境を越えた3人
無事国境を越えた3人

タイ側の町アランヤプラテートでは休息日として2泊した。

舗装路がまぶしい
舗装路がまぶしい

バンコクまで約350km。長距離自転車移動は初めてなのもあって、クランクを一回回す毎に膝がグリリと痛い。変速機も付いてないので余計に体に負担がかかる。

タイ側に入ってもパンクは頻発
タイ側に入ってもパンクは頻発

走行中はほとんど話さない。ただ黙々とバンコクを目指す。バンコクのゴールは旅人の交差点、カオサンだ。そこで僕らはある事を約束していた。

ようやく現れたバンコクの文字
ようやく現れたバンコクの文字

タイに入り三日目の昼過ぎ、ようやくバンコクの標識が現れる。もうすぐだ。

飛行機!もうバンコクの空港だ
飛行機!もうバンコクの空港だ

ふと飛行機が見えた。スワンナプーム空港も近い。バンコク市街地まであと20キロほどだ。

バンコクは広い。いつのまにか市街地になっていたが、見慣れた町並みにたどり着いた時にはどっぷり日が暮れていた。フワランポーン駅の脇を通り、一路カオサンへ。

 

着いた。酒宴での思いつきから約1週間。30ドルの中古のママチャリで凸凹道を越え、何度ものパンク修理をし、膝を痛めてようやう到着したカオサン。

ハイネケンで乾杯
ハイネケンで乾杯

まずはビールだ。セブンイレブンで一番高いビール、ハイネケンを大瓶3本買い、

 

カシュっと開ける。

 

そして、出歩く西洋人も、商売人のタイ人もみんなが振り向く大音声で

 

「かんぱーい!!!」

 

しかしまだ約束は果たされてはいなかった。800バーツほどのそこそこ奇麗なホテルに投宿し、買い込んでおいたハイネケンをそれぞれ持って大きめのバスルームに男三人がおもむろに立つ。

 

 

勝者だけが味わう事が出来る

 

「ビール掛け」

 

3人揃ってバンコクにたどり着けたらビールを掛け合おう、それを励みにこいできたのだった。

 

 

喉ではなく、体の隅々から味わうハイネケンは今まで飲んだどのビールよりも甘く、そして酔いの回る夢の味だった。

その後、僕とケンドー君は帰国、しかし、ワタ君は

 

もうちょっと走ってきます
もうちょっと走ってきます

タイから26ドルの自転車でそのまま走り続けキルギスまで行ってしまったのだった。

 

 

 

 


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