再見、中国

 どばっ


っと発車とともに吐き出された真っ黒な排気ガスは側にいたチベット人のおばあちゃんを包み込む。大理石のような黒い斑紋がある水色や赤の玉、銀細 工で髪の毛や首周りを飾ったおばあちゃん、顔をしかめて深い皺の顔はなおさらしわくちゃになる。すぐ側にいた犬も黒い煙にびっくりして


しゅたたた


と離れていき恨めしそうにバスの方を見返えす。でも黒煙のふりかかった一頭の牛はまったく気にする様子もなく、真っ黒な瞳は違う世界を見ているかのようにアゴだけを横にスライドさせて


もごもご


と草を奥歯ですり潰していた。




ようやく明るくなった朝8時過ぎにラサを出発したバス、海抜4000mのチベット高原を駆け抜ける。元々森林限界を超えているのもあるのと、冬の農閑期というのもあり、緑は一切ない。大地と山は地味な茶色、反対に空は絵の具で塗りつぶしたように鮮やかで青い。


自然と瞼が閉じていったり、開いたり。ふと開くとちょうどバスは


うぬぬぬ


と苦しそうなうなり声を上げながら坂を上っていた。どうやら途中にある5000m以上の峠らしい。坂を上り切ったところには、赤青白緑黄の五色の 布キレが数え切れない万国旗のように風にはためいている。それぞれにチベット仏教の経典をしたためているタルチョーというモノだ。風に吹かれる度にチベッ ト仏教の教えが風に乗って広がるという。


うわ


っとバスの中のチベット人たち。一斉に窓を開け、タルチョーと同じく経典が書かれた五色の小さな紙切れの束を


どぱ


っと一斉に空へ向かって投げ放つ。紙吹雪のように、それらは限りなく濃い空に五色の小さな紙切れが鮮やかに舞っていった。



草はなく、わずかに苔のようなものが地面を覆っているだけ。冬という事もあろうが水はあるけども川は凍っている。とても人間の住めそうな世界には 見えないけども、それでも道はあり時折集落が通り過ぎる。土レンガで作った箱のような建物、建物自体は全体は土色かくすんだ白だが、窓枠などが色鮮やかに 緑や赤で色づけられていて、屋根の上にはタルチョーが少しはためいている。小さい事ながらそのコントラストは美しい。そして、それはほとんど彩りの無い世 界に生きる人たちの懸命さなのだろう。

バスはそんな小さくはかない集落を、砂ぼこりだけを残して通り過ぎる。気づくと太陽は遥か彼方の山の向こうへと落ちていった。太陽の残照は木を持 たない山の稜線をはっきりと浮かび上がらせ、バスの向かって行く西の空は濃いオレンジ色の部分が徐々に狭くなるのと同時に、水で薄めていくかのように淡く なり、そして青っぽい、黒色へと変わっていった。


翌日、何か祖父の家のような懐かしい匂いのする宿で目が覚める。数時間前の朝4時に国境の町でバスを降ろされ、寝ている受付を起こして確保した部屋だった。

睡眠不足と疲労でふらふらしながら、山の斜面に無理やり作ったような九十九折の町の道、バックパックを背負って国境へととぼとぼと下っていく。標高は2000m程度なので、ひさびさに緑がある。息が切れない。

英語が通じるのは奇跡に近い中国で、当然だが流暢に英語を話す出入国管理官にパスポートを笑顔で渡す。許可証がなければ来れなかったはずのこの国境なのに、まったくチェックすることなく


ばん


っとスタンプを押され返ってきた。


ネパール側の出入国事務所まで高度でいえば数百メートル、これも九十九折りの道を10キロ斜面に沿って下っていく。狭苦しい乗り合いタクシーの中 から右を見上げると、緑の険しい崖のような斜面に、帯のように家や小さなビルがしがみついていた。ちらりと見える看板には漢字が見える。

人に腹をたて、感謝し、食べ物に、雄大な、過酷な自然に感動し、バスに揺られて過ごした1ヶ月の中国。


「ツアイチェン(再見)。」

見上げる中国の国境の町、樟木(ジャンムー)に向かって呟き、俺の中国の旅は終わったのだった。


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