セピアドリームinPakistan

夢を見た、パキスタンに居た時の夢。そう、ついこの前のような、それでいて記憶の中の風景は少しセピアがかった色。あれは何年前だったろうか。

確か、2004年の3月・・、もう、あれから3年も経ったのか・・・。





トカレフ、旧ソ連の軍用拳銃。そいつをポンと渡され、ひざをつき両手で構え、15m先のレンガに照準を当てる。弾は1発だ。外す事は許されない・・・。



・・・・・

・・・・・・・・・・・・パキスタンでも異質な地域。「トライバルエリア」。ここは古くから住み住み続ける部族達の地域。国の法律は及ばず、部族の掟だけが支配する地域だ。個人で行く事はできないので、日本人には有名な部族出身のガイド、通称「パパ爺」を雇って行く。

パパ爺は白髭たたえた愉快な爺だ。彼に導かれ、まず行ったのはアフガンマーケット。アフガニスタン紛争から逃れて来た難民達がやっているマーケット。ここも、法律は及ばず、売ってるものは多種多彩。パパ爺、さも喫茶店でも入るように怪しげな店へ俺達を導く。入った途端に不健康な香りが俺達を覆う。


「大麻だ」。ボソっと囁いた。大麻ショップの御主人はやたら健康的な笑顔を振ふりまき右手を差し出す。握手。不健康な香りと健康な笑顔。

対比してしまうのは、俺がまだ健康な証か。商品である大麻達は、ちょうど駄菓子屋のお菓子達のように透明な円筒型の入れ物に入っていた。「パコッ」。主人は気軽にブツを取り出し俺達に見せる。デ、デカイ!拳大はある。こんなデカイ大麻樹脂見た事ねえ。今まで見たのはでかくても小指の先くらいだった。日本での末端価格はどれくらいか・・。

しかし、主人の商品はこれだけでは無い。大麻箱の横からペンシルを出す。分解。弾を込める。弾?そう、タマ、実弾。22口径の実弾だ。俺の中では ペンシルと実弾はかなり縁が薄いものだが、彼の中では兄弟くらいの縁なのか。「な、なんだそりゃ?」の問いに「ペンピストル」。まったくシンプルな答え。 「お値段は100ルピー(約200円)と大変お買い得となっております」とは正確な訳では無いが、とにかく100ルピー。安い。

その後、アフガン難民キャンプへ。旧ソ連、アフガン侵攻当時からここに住み続けている難民達の村だ。入っていくと、もうかなりのウェルカム感を味わう。「ハロー。君たちは大切なお客さんだ」と悲惨な生活であるはずなのに、笑顔で言ってくれる。。。俺達の感性からは、あまり悲惨な生活を見られるのは決して楽しい事では無いように思えるのであるが、この笑顔。


逆にこの笑顔が心苦しくなってしまった。アフガン戦争が終わり、大統領も決まり、新たに歩み始めたアフガニスタンであるが、いつになったら彼らは祖国に帰る事ができるのか、少し気 持ちが暗くなった。

村を後にし、タクシーでガンファクトリーへ。のどかな住宅地の真ん中にいきなりそれはある。普通のレンガ作りの倉庫に入ると、普通の町工場のような工作機械が並んであった。それだけ見れば何を作っているのかはわからない。しかし、奥に足を進めてみると、そこが銃密造工場と言う事が一目で分かった。


職人達が一つ一つ手作りで銃を作っていたのだった。真心がこもってそうだ。作っていたのはショットガンと、トカレフ。仔細に見ているとパパ爺が「撃ってみないか?」と囁いてきた。


・・・・・・・・・・もう一度、グリップを握り直す。油で少しぬるぬるする。トリガーを少しづつ引く。トリガーは引くのでは無く、寄せるのだ、というどこかで聞いた射撃のコツもここでは既に頭には無い。頭にあるのは、ただ、レンガのみ。


パーン!

バカッ!!!

レンガが砕けた!


命中だ。


まさか、こんな離れた位置からピストルが当たるとは。見守っていた職人達も感嘆の声を漏らす。「君ならアフガンで戦える」という心強い言葉も受け取り、ショットガンも受け取る。

同じように構え、レンガに照準を当て、撃つ。

バーン!

バカッ!!

命中。

俺はセンスがあるのか・・・。

ニヤリ、としたところで、まどろみの中、バンコクの寂れた部屋へと意識は戻っていた。

あまりに鮮明な夢。夢の鮮明さと今のまどろむ意識。

外は雨が降っている。

夜でも暑いバンコクは、雨は神からの贈りものだ。

アフガン難民の彼らには今日神は何か与えただろうか。それともまだ奪い続けているのだろうか。

雨の止む気配は、無い。


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