第二章 生きている

5月31日朝、目指すはバンコク。

バンコクまで1250km
バンコクまで1250km

案内板には1250キロ。これを見た時点で「途中で鉄道乗っちゃうか」と思ったものの、けど何はともあれ漕がない事には始まらない。この日の目的地は160キロ先のパッタニ。

しかし気持ちだけでは漕げない。漕ぐには食事だ。

イカと野菜の辛炒め
イカと野菜の辛炒め

途中の町の食堂にて。観光客なんてまったく来ない町のようで、「マレーシア人か?」と聞かれたり。主人に「パッタニに行く」と伝えると「18時以降は外出ダメ。バンバン。撃たれる」と言われた。

それからひたすら漕いで4時過ぎにようやくパッタニへ。タイでは珍しいかなり大きいモスクがあり、町自体も歩いて全部周るには一苦労というほどの大きさ。町の出入り口には軍のチェックポスト。土嚢積んで機関銃を据え付けている。ただ明らかに外国人である僕はスルーだった。疲れ果てていて、宿は適当に見つけたとこへ。

1500円くらいの中級ホテル
1500円くらいの中級ホテル

割とキレイなちゃんとしたホテル。この町では一番大きなホテルだった。荷物と自転車放り込んで、早速町歩き。

まだ10代のような若い兵士
まだ10代のような若い兵士
武装した兵士が日常に。
武装した兵士が日常に。
屋台の脇にも兵士。至るところで警戒していた。
屋台の脇にも兵士。至るところで警戒していた。

至る所兵士だらけ。警察官と違って迷彩服の兵士というのはそれだけで周りに対して威圧感がある。それと同時に守ってくれているという安心感もあるのも確か。

市場はその国・その町の姿がよく分かるところだ。そんなわけで市場へと歩いて行くと、市場の前の駐輪スペースにはずらり、シートを空けたバイク。

タイ深南部はどこに行ってもこの風景
タイ深南部はどこに行ってもこの風景

これはこの地域で多い仕掛け爆弾対策かと思われる。バイクのシート下に爆弾を入れて爆発させる手口が多いという。それでこうして人の集まる所のバイクは シートを開けておくルールがあるようだ。ここ以外にもある集落の結婚式のような所でも、何かのお祭りのような所でも同じような風景が見られた。

僕が歩いている目の前のバイクがいつ爆発するか分からない。

「次の瞬間死んでるかもしれない、けど、今この瞬間は自分は生きているんだ」

危険と隣り合わせになってほんと心の底から生きてる実感がした。日本ではまず味わえない感覚だった。こんなトコ旅するなんて褒められたもんじゃないけれども、それでもココに行って、この感覚を、生きてるというリアル感を味わえたのは、僕にとって衝撃的と言ってもいい経験だった。

この感覚はなんというか、生きているという自分自身がもの凄く愛しいと思える感覚だった。

 

生きているのが当然、寝て、起きて翌朝を迎えるのが当然と思えていた今まではなんだったんだろうと思えた。



もちろん、兵士ばっかりじゃなく、ここは僕らと同じ普通の人達が普通に生活する町なわけで緊張感はありつつも結構普通のタイの町でもあった。

カメラを向けると笑顔で返してくれる
カメラを向けると笑顔で返してくれる

タイ語で話しかけるとみんな笑顔返してくれる。いくら騒乱が起きようとも、やっぱりそこは「微笑みの国」だった。温暖で豊かな国土が醸成させるのだろうか、人々の心の余裕が感じられ平和な国から来た僕の方が癒される結果となった。

 

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