弾痕の残る町。

2015/05/21 クロアチア・ブコバル


カンボジアで会ったいかにも大学生風な男の子が


ポルポト?それお菓子かなんかですか?


って言ってたのを心の奥で馬鹿にしてた時があったんですよ、


ポルポト知らんでなんでオマエここ来たの?


って。


でもそんな事笑ってられないなって先日思いました。


「せっかくだしクロアチアも入っておくか」


って事でセルビアからクロアチアに入りました。クロアチアっていうと

「魔女の宅急便の舞台になった町がある国やなあ」

って位しか知識がなく、しばらくドナウ川沿いに走っているといきなり道路脇に戦車。


「あれ?なんでこんなとこにT72置いてるん?(←俺は軍事オタク)」


するとそこは小さな資料館になっていてお金も要らないって事で入ってみました。


ほの暗いその中にはいくつもモニターがあります。そこには凄惨な戦争の写真がスライドショーで展示されていました。使い古された小銃やロケットランチャー、吹き飛んだ戦車の砲塔も。


その町はブコバル。


ユーゴスラビアからの独立の際、クロアチアは紛争になりこの町は大激戦の現場となったのでした。守る側はクロアチア人僅か2000人、そして攻める側セルビア人勢力は戦車等重装備を持ち、その数なんと3万6000人。


資料館を出て町に入ってみると一見小奇麗ないかにもヨーロッパ風の小さな町でした。壁をクリーム色なんかで塗っていたりしてお洒落な感じ。しかしよく見てみると所々残る廃墟の壁には銃撃の痕が数え切れないほど。弾痕の無い廃墟はまったくない。それはわざとなんだろうけどいくつかの建物は弾痕そのままの状態で使ってたりもします。

町の外れには大きな給水塔があり、ここは弾痕どころか砲撃の痕が生々しく残っています。攻防戦の最中、ここにはクロアチア旗が掲げられていた事から集中的に大砲で狙われたのだそうです。

この紛争、わずか20年数年前の話。僕が小学生の頃ここが地獄だったのでしょう。

そんな事も知らずにふらふらと自転車でやってきて、ガツンと頭を殴られたかのような衝撃を受けたのでした。



さてさて、クロアチアからハンガリーに入ったとこです。野宿続きで天気も悪いし

「仕方無いし宿取るか・・・・。」

 

と思ってとった2000円の宿。最初2000円って言われてちょっと高いなって思ったんですが、部屋にキッチン付いてる。すごいです、ハンガリー。

キッチン付き。コンロや電子レンジ、冷蔵庫に鍋や食器なんかも。

wifiももちろん。

サクランボ収穫を眺めていたら少し頂きました。アメリカンチェリー寄りな味。

夕飯はいつもこんな感じ。卵とじとトマトと缶詰。

「ナルトを見て日本語を少し勉強しています」というお姉さん。ナルトの影響だろう、一人称が「わたし」ではなく「おれ」なのが少し残念。


概要 | プライバシーポリシー | サイトマップ
たぶん日本人初、リカンベント自転車による世界一周を綴るホームページ。