情報ノート時代。

2016/01/27 プエルトモント

 

かつて、十数年以上前に旅人だった人たちは

 

「情報ノート」

 

を頼りにして旅をしていたと思います。

その当時ももちろん歩き方もあって今よりは宿情報がバックパッカー向けだった(歩き方にヒルトンとか高級ホテル載せる意味がいまだに分からん)。さらにバックパッカー向けに特化した「旅行人ノート」っていうガイドブックもあってコレ持って旅してる人はなんとなく玄人っぽく見えたもの。

 

どんなガイドブックかというと例えばパキスタンの部族支配地域っていう政府の統治力が及ばないエリア(何かあっても警察が来てくれない)のガイドなんかもしてる位。チベットなんかに至っては旅行人ノートは欧米人ご用達ガイドブックロンリープラネットよりも詳しく「チベットで困ったら日本人に聞け」とも言われてたとか何とか。

 

そんな尖ったガイドブック持ってた僕らだったけれど、それよりもディープな情報が得られるのが世界各地の日本人常用宿に設置されてあった「情報ノート」でした。

 

国境情報、宿情報、バス情報といった一般的な旅情報からその宿周辺のお店やレストラン、お勧めポイント、果てや夜の情報まで。パキスタン北部のフンザの宿では僕は「裏山のある斜面にガーネットが露出してるんで拾い放題です」なんて情報書き込んだ事も。当然屑石なんで無価値ですが。

当時ガイドブック以外からの旅情報を得るすべが無かった僕らにとっては情報ノートは何よりも嬉しいものでした。情報ノートがあるからあそこの宿に行く、というのも一般的な旅人行動。

 

「お、この人色んな宿の情報ノートにも書き込んでるよな」

 

とかで会った事はないけど旅人間で有名になってる人がいたり。

まあそういうアナログな世界であったのです。

当時、そういうアナログ旅人であった僕(フィルムカメラ使ってました)も今ではパソコンにスマホにGPS使って旅する人に。

 

情報ノートを目にして、懐かしさこそ膨らんでくるもののそこに喜びってのはありませんでした。予想通り最近の書き込みはほとんどなく10年前の書き込みとかばかり。

 

旅情報に飢えていた当時であれば貪るように読んでいたのでしょうけど、今ではネットで気軽に得られてしまう。

ネットで何もかもバスも国境越えも宿も事前に知る事が出来る、便利にはなりました。でもやっぱり失うものも大きかった気がします。

知らないから、分かんないからこその旅があった。

 

そんな時代の端っこにいた元バックパッカーが、古びれた情報ノートを目にして昔に思いを馳せるのでした。

 

 

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